メサイア-暁乃刻- を観てきました
昨日が死に、今日が生まれる
それが黎明 暁の刻ー
※若干のネタバレを含みます。
「僕たちは2人で1つの壊れやすいたまご。」
「護が壊れる時は僕も壊れる。」
「だから俺がここにいるってことは、お前がそこにいるってことだ!」
メサイア-暁乃刻-を見てきました。
場所はサンシャイン劇場。翡翠ぶりですね。
http://messiah-project.com/akatsuki/sp.html
以下感想です。
心が死んだ。
干からびた。
泣きすぎてフラフラになり席を立ちました。
大好きな大好きな護、そして護を演じる燈くんの卒業公演。
話が進むにつれてどんどん辛くなるし、護の運命を観客として観ていくうちにどんどん苦しくなる。
今までの公演の事を走馬灯のように思い出しながらカラッカラになるまで涙を流した。
途轍もなく苦しくて、護の言葉を借りれば「惨い」と感じた。
でも、メサイアって観ると心が救われるんですよね。救済がある。絶望したままでは終わらせてくれない。
今回のラストがとても好きだった。涙は止まらなくなりましたが。
最後、護がドセンに1人で立つのではなくて、
淮斗と2人でセンターに立って拳を合わせた。
はっきりと見えた。淮斗は護の横にいて、サクラとして、メサイアとして拳を合わせていた。
護を護る淮斗は最高にカッコよかった。
言葉足らずだし「護には言わないで」って一嶋さんと約束しちゃうから、護は淮斗がいなくなったという事実に振り回される。
淮斗を探し続けて痕跡を見つけては喜んで、それが違うと分かれば絶望して。
まるで暗闇の中を方向もわからず走っているようで。
護のセリフでも「俺はずっとこの闇の中で生きていかなければならないのですか?」というものがありました。護にとって淮斗のいない世界は暗闇、そして絶望の渦巻く世界。
共依存。
おそらく、淮斗を見失ってるから自分のことも見失っていて、先の見えない真っ暗闇を走っているから、「あいつのいない世界を生きて一体何になる?」という発言があったのかな。
でも明けない夜なんて無い。
今回のタイトルにもある、『暁』は夜明けって意味で、転じて始まりって意味もあると思ったんです。
観る前は、新たなチャーチ、新たなサクラ候補生、そして新たに始まったメサイアプロジェクトの第一弾としてのタイトルなのかなと思ってました。
多分それだけじゃなかった。護と淮斗のメサイアとしての(再)スタートを指してたのかな。
「夜は夜明け前が一番暗い」というセリフが劇中にありますが、『暁』は2人が闇を抜けて真実を見つけ、信じあって一歩ずつ進み出す様を指していたのかもしれない。共依存とはどこか違う関係性を見つけたのかな。
「意識の生」を強く感じた作品でした。
「おれはあいつに約束した!あいつを護るって!あいつはこういった!僕も誰かを護りたい、そのためにコートを着るんだ!おれとの約束を守ってくれたんだ!」
そう叫ぶ護が、とてもかっこよかった。
苦しかったけど観に行ってよかったです。
同シリーズの作品を何本か劇場で見ている分、こんなシーンもあったな、懐かしいな、と思って見ているうちにどんどんと辛いという感情が募っていくのがわかりました。また何か追加で書きたいことがあったらブログを書くかもしれません。
わたしは白崎護に世界一幸せになってもらいたいです。
鋼の意思を胸に刻んで、強く生きて、世界一幸せになって下さい。